CSLewis_words's profile picture. ナルニア国物語で有名なC.S.ルイスのキリスト教著作を抜粋にて紹介します。
ピンと来るものがありましたらぜひ書籍をお読み下さい(書籍名はツイートをさかのぼると分かるようになっています)。
質問等お気軽にどうぞ。

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C.S.ルイス宗教著作bot

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ナルニア国物語で有名なC.S.ルイスのキリスト教著作を抜粋にて紹介します。 ピンと来るものがありましたらぜひ書籍をお読み下さい(書籍名はツイートをさかのぼると分かるようになっています)。 質問等お気軽にどうぞ。 ‥=省略 <>=傍点部 []=bot主脚注

わたし[悪魔]は患者[担当する人間]から、実際は罪ではない、強い個人的趣味を、たとえそれが州対抗のクリケットや、切手蒐集や、ココアを飲むような些細な嗜好であっても、原則としてそういうものを根こそぎ引き抜きたいものだ。[悪魔の手紙]


われわれ[悪魔]は常に彼ら[人間]が本性から遠ざかるよう奨励しなければならない。どの人間の心底からの好みも衝動も、敵[神]が与えた原料であり出発点である。それゆえに、そこから人を遠ざけることはとにかく一点かせいだことになる。[悪魔の手紙]


彼[神]は本当に、この小さな虫けらども[人間]が好きで、その一つ一つの個別性を馬鹿に大切にすることを常に覚えておきなさい。敵[神]は、人間どもが自我を捨てることを云々する時、ただ人間が騒々しい我意の主張を放棄することを言っているのだ。[悪魔の手紙]


<苦痛>と<快楽>の特徴はそれがまぎれもなく実在するということである。したがって、苦痛と快楽は‥それらを感ずる人間に実在についての試金石を与える。‥五分間も本当に歯が痛めば、ロマン的悲しみの正体はその実たわごとであることが分かり、君[悪魔]の策略も全部暴露するだろう[悪魔の手紙]


それは帰するところ二度目の回心である──恐らく最初の回心より深い層でのものであろう。[悪魔の手紙]


まことに地獄への最も確実な道はなだらかな道である──ゆるやかな勾配、やわらかな足ざわり、急な曲り角もなく、里程標もなく、道しるべもない道である。[悪魔の手紙]


罪の集積的効果によって人を<光>から漸次遠ざけ、<虚無>の中にじりじりつれこむなら、罪はどんなに小さくても構わない。もしトランプで事がすむなら、殺人もトランプと選ぶところない。[悪魔の手紙]


甘美な罪においてではなく、正体も理由も分からぬものの上を心がわびしくゆらめくうちに、本人も半ば気づかぬほど頼りない好奇心を満足させるうちに‥振り払うことのできない夢想の長いぼんやりした迷路のうちに、人の最良の年月を盗み取るほどに<ないもの>すなわち虚無は強いのである[悪魔の手紙]


キリスト者たちは、われらの敵[神]のことを「彼なくしては強いものは何もない」と説明する。なるほどないものは非常に強いのだ。[悪魔の手紙]


虚栄と興奮と軽薄さの楽しみも、慣れのために面白味が少なくなり、しかも同時にいっそう捨てがたいものとなる‥[悪魔の手紙]


[人間の笑いの中で]一番よいのは”軽はずみ”[嘲笑的・冷笑的態度]だ。‥誰にも実際には言えちゃいないが、どんな真面目な問題も、そのばかげた面が彼らにはもう見えたということを暗黙の前提とした態度で論じられる。[悪魔の手紙]


このような[喜びの]笑いはいっこうわれわれ[悪魔]の役には立たず、常に水をさしてやる必要がある。その上その現象はおのずからいとわしく、地獄の現実主義、威厳、謹厳への直接的侮辱だ。[悪魔の手紙]


手加減した信心は不信心と同じくらい結構なもの──その上もっと面白い。[悪魔の手紙]


われわれ[悪魔]は[人間を]常々快楽の自然状態から離れて、なるべく自然にそむき、なるべくその造り主を偲ばせず、なるべく楽しからぬ状態へとひっぱりこむよう努めるのだ。絶えず減少して行く快楽への絶えず増大していく渇望がその公式である。[悪魔の手紙]


快楽によって多くの魂をわれわれ[悪魔]のものとしてきた‥。しかし‥やはり快楽は敵[神]の発明であって、われわれの発明ではないのだ。‥われわれにできることは、敵が造り出した快楽を、彼が禁じた時に、禁じた仕方で、禁じた程度までも、人間どもにやらせることである。[悪魔の手紙]


人が敵[神]の意志を行なうことをもはや<望まない>のに、それでもなお実行を<志して>、敵の痕跡が全然見えなくなったように思える宇宙を見回し、なぜ自分は見捨てられたのかと問いつつも、しかもなお従順に従う時、その時ほどわれわれ[悪魔]の大義が危険に瀕する時はないのだ。[悪魔の手紙]


われわれ[悪魔]が人間を悪に誘うように、彼[神]が人を徳に「誘う」ことはできない。彼らに独り歩きを学ばせたいのであるから、自分の手を取りのけなければならない。それでもし、歩く意志だけでも本当にあれば、よちよち歩きにでも満悦だ。[悪魔の手紙]


彼[神]は人が自力で立ち上がるように放置する──味のぬけた義務を意志の力だけで遂行するよう放っておく。人が彼の欲するようなものに成長するのは山頂の時期よりも、むしろこのような谷間の時期の間である。それだから、枯渇の状態で捧げられる祈りは彼を最も喜ばせる。[悪魔の手紙]


というのは、彼[神]の恥ずべき考えでは、菓子を食べてもなくならないでほしいのである。人間は彼と一つであってしかも彼ら自身でなければならない。単に彼らを抹殺したり、同化したりするのでは何にもならない。[悪魔の手紙]


敵[神]が望むのは、彼に結合しながらもなお独自の存在を保つもので満たされた世界である。[悪魔の手紙]


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