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ものたすむ

@mono_tasm

隔絶された場所、打ち捨てられた場所。私を勝手にそこに投げ入れておきながら、この世のために奮起せよと奴らは言う。排除しながら、歯車として利用しようとするのだ。そんな奴らの厚い面には唾を吐きかけてやろう。そして悪態をつくことも忘れずに!


聞いてくれとは願わない。いや、願う。いや、願わない。届くことはないと、思っているから。言葉を信用していない。聞き手を信用していない。何より、言葉を発する私自身を、信用していない。朝日とともに消えることが叶わないならば、せめて、言葉の海に溶けてゆきたいのだ。


言葉しかここにはないよ。誰もいない、何もない。虚空に向かって発せられたそれは、何もぶつかることはなく、反響することはない。すぐに吸い込まれ、消えてしまう。それでも、いや、そうだからこそ、叫ぶ。


私はここにいる私はここにいる私はここにいる。私? そう、私。私ってどこのどいつ? そこのこいつ。どれなの、言葉しかここにはないよ、言葉しかここにはないよ。


夜明けは、だから美しいのだ。全ての消えてしまうものへ、愛と祈りを。


世が開けるとともに、私も消えてしまうならいいのに。夜明けを迎えても私が存在し続けるということが、私が夢の住人ではないということの証左である。私は夜明けとともに消える夢の住人でありたかった。


ここは夜である。瞬間である。全てを飲み込む無意味である。しかし、逆に問うならば、それこそが全てなのではあるまいか? この世の誰も目もくれぬ、足の親指のようなものである。それこそが全てなのである。それがなければ、何もない。


この世界の中には、少なくとも一つ、回らない歯車がある。他のどの歯車とも噛み合っていない。そんなものは不必要だ、と思ったあなたは、ここから立ち去って欲しい。帰りの扉は、あちらだ。その扉の向こうには、日が照らし、さぞ明るいことだろう。そんなことはなんの意味もない。


それは死であるか? そうである、と同時に、そうではない。死よりも深い、無意味の穴である。ブラックホールである。この世の全てを、飲み込んでしまうだろう。


祈るのだ。どこでもない場所を、明日という日のやって来ぬ時間を。瞬間に凍結した夜が永遠に引き伸ばされ、この宇宙を飲み込んでしまうことを。


明日よ、来てくれるな。時間よ、止まれ。そして眠ろう。決して目覚めぬ眠りを、眠ろう。何のためでも、誰のためでもない眠りを。


明日は確実にやってくる。このことが絶望でもなんでもなく、希望でさえあるという人たちがいる。世界は確かに美しい。けれど、そのことと、時間が止まって欲しいと願うことの間には何の関係もない。明日よ、来てくれるな。


砂浜に死亡保険がはみ出して、黒いつまさきの色におびえる。


「周囲に毒を撒き散らすな」と他人にい怒っている人の怒りが周囲への毒となっている場合にはどうすればよいのか。


あまりに便利すぎるのですぐさま使用を禁止するべきである。これらの言葉を頻用する人は要注意人物として私は認識する。


ハラッサーはこのような言葉を巧みに用いる。モラルハラスメントを浴びせられ、自らの正しさの基準を失った人間にはこの言葉は効く。かなりよく効く。「ひょっとしたら間違ってるのは自分の方なんじゃないか」とこちらにちょっとでも思わせることができたなら、もう相手の思う壺である。


あつかましいにもほどがある。


そして自分は! 自分は冷静で余裕があってちゃんと思考ができてちゃんと言葉が話せるとでも思っているのか。その自認に加え、相手はそうではないと認識している。どうしてそのような認識が可能なのか。その認識もまた疑うべきなのではないか。なぜ相手の認識のみが壊れていると考えられるのか。


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