FriedmanBot's profile picture. ノーベル賞経済学者ミルトン・フリードマンのbotです。主に『資本主義と自由』と『選択の自由』から引用しています。引用では断りなく、言い回しの改変や中略をしていますが、大意は変えていないつもりです。

ミルトン・フリードマン BOT

@FriedmanBot

ノーベル賞経済学者ミルトン・フリードマンのbotです。主に『資本主義と自由』と『選択の自由』から引用しています。引用では断りなく、言い回しの改変や中略をしていますが、大意は変えていないつもりです。

自由社会で独占が発生すると、二種類の問題が起きる。第一に、個人の選択の幅が狭まり、自発的な交換が制限される。第二に、独占者のいわゆる「社会的責任」が問われるようになる。


現在は資本市場が不完全であるために、医者や弁護士などの専門職に就くための学費のかさむ教育は、裕福な親か後援者を持つ人でないとなかなか受けられない。そうした人たちは、能力がありながら学費を捻出できない大勢の人を尻目に、ぬくぬくと競争を回避している。


認定制において、資格認定を受けた人がそれを乱用し、新規申請者にむやみに厳しい条件を課して認定者数を過度に制限するといったことは、もしかすると起きるかもしれない。だが、そうなれば有資格者と無資格者の間の料金格差が大きくなり、無資格者を利用する人が増えるだろう。


『共産党宣言』の有名な一節に、マルクスとエンゲルスはこう書いた---「プロレタリアが失うのは鎖だけである。勝ち取るのは全世界である」。だが、いまソ連のプロレタリアの鎖が西側の国より弱くなっていると、誰が思うだろう。


職業の免許化を求めて圧力をかけてくるのは、まずまちがいなく当の職業についている人たちなのだ。なるほど彼らは、自分たちがお客からどれほど搾取しているか誰よりもよく知っている。だから、専門知識があると大いばりで主張できるのだろう。


「負の所得税」は、貧困の救済のみを目的としている。誰にとっても一番使い勝手のいい現金で補助する。汎用的である。社会が負担するコストがはっきりしている。市場の外で機能し市場歪ませない。貧しい人々の自助努力を完全に失わせるようなことがない。と、貧困対策として様々なメリットがある。


政府の権力は分散されなければならない。政府が権力を行使せざるを得ないときは、国よりも州、州よりも郡や市で行使することが望ましい。自分の住む町のやり方が気にくわないとき、さっさと別の町に引っ越せばよい。だが国となると、敵対的な国が多い現状では、おいそれと出て行くわけにはいかない。


金融政策と物価水準の間に密接な関係があることは間違いないが、両者の間に常に直接的な強い相関関係があるわけではないので、インフレ・ターゲティングが金融政策の指針としてふさわしいとは言えない。


自分の能力や才能で生み出した富は好きにしてよいし、自分が築き上げた富が生む利益も好き勝手にしてよいが、富を子供に譲るのは認められないというのは、つじつまが合わないではないか。


累進税は、すでに裕福な人よりも、これから富を築こうとする人にとって重荷になる。つまり累進税は、リスクを避け、既存資産を守る方へと資産所有者を仕向ける。そうなれば、既に築き上げられた資産が分散する可能性は低くなる。


無資格者の医療行為が法律で禁じられた結果、別に一流の専門医でなくとも十分にこなせる多くの行為が、免許を持つ医師に限定されているのである。となると、他の人でも問題なくこなせる「医療行為」に正規の医師がかなりの時間を割くことになり、本来の医療行為に充てる時間は大幅に減ってしまう。


自由を守り自由の範囲を広げるためにはまず、直面する自由市場に対する脅威に目覚めなければならない。そして、自由主義に則った制度であれば、国家の強制に比べてたとえ速度は遅くとも、確実に各自の目標を実現できるのだと仲間を説得しなければならない。これが、自由を拡大する唯一の道である。


人は口先では「運」より「実力」に価値を認めるけれども、実際には運による不平等の方が実力による不平等よりはるかに受け入れやすいものだ。大学教授は、同僚が競馬の大穴を当てたとき、羨みこそすれ恨むことはないだろうが、昇給し自分より報酬が多くなったとしたら、大いに不快に思うに違いない。


私の知る限りでは、ケインズ理論を裏付ける系統的データや一貫性のある証拠は存在しない。言ってみれば経済神話のような説であって、経済分析や定量的な研究で実証されていないのである。にもかかわらず絶大な影響力を持ち、幅広い支持を得るに至っている。


現在の学校制度は、機会を均等化するどころか、逆の効果を引き起こしていると考えられる。並はずれて優秀な子供たち---未来の希望が託されているこれら少数の子供たちが、貧困から這い上がるのを拒んでいるのだ。


人は自分が多数派のときに他人の言論の自由を奪うのは平気でも、自分が少数派のときに言論の自由を奪われるのは大いに気になる。他人の言論の自由のうちに気に食わないものが多々あっても、自分の言論の自由が否定されるかもしれない可能性を遥かに重大視するのである。


言論の自由はなぜ望ましいのか---その一つの答として、何が公正な言い分かをその時々の多数派が決めるような社会はよくないからだと言える。自由主義者が求めるのは、言わば自由な意見交換市場だ。市場では、はじめは少数派の意見もやがて多数派になり、万人に近い支持を得るチャンスがある。


個人所得税として最も望ましいのは、基礎控除を上回る所得に対する一律税率の適用である。このとき、対象となる所得はできるだけ広げる一方で、控除の対象は厳密に定義した必要経費に限る。そしてこれと並行して、法人税は打ち切るべきである。株主は企業の所得を納税申告に含めなければならない。


もっとも、徹底的な温情主義者というのは、そうそういるものではない。頭を冷やして考えれば、温情主義を貫くのは得にならないからだ。ところが、社会福祉や社会保障に関してはこの手の主張がずいぶん幅を利かせている。


肝心なのは、あるときある国で発生した国際収支の不均衡を解決することではない。不均衡が発生すること自体を解決することである。そのためには、自由市場が機能し、国際貿易に影響する変化にすぐさま自動的に反応して効果をあげられるようなメカニズムを採用するべきである。


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