nomad68k's profile picture. 2016.ツイッターに重きを置いてないので、キリ番に合わせて随意に削除します。2030年まで放置(2025年2月記)。
Resist globalization.
「希望することはとても甘いことであり、すべての錯覚を除くことはとても苦いことです。絶望には希望よりもさらに勇気がいります。」(ルーゲからマルクス宛て書簡)

nasubiseijin

@nomad68k

2016.ツイッターに重きを置いてないので、キリ番に合わせて随意に削除します。2030年まで放置(2025年2月記)。 Resist globalization. 「希望することはとても甘いことであり、すべての錯覚を除くことはとても苦いことです。絶望には希望よりもさらに勇気がいります。」(ルーゲからマルクス宛て書簡)

Angepinnt

米軍家族住宅の池子弾薬庫跡地、横浜市側への建設に反対する。


しじみの味噌汁の残り汁でラーメンを作ったらあまりにもおいしいので感動している。外食のラーメンのギトギトスープなんて問題にならない。しじみ、すごいよ、しじみ!しじみ、世界一素晴らしい。


久しぶりの横浜。グローバリズムに侵略されていらない店だらけの無残な状態だが、王将と鈴与だけは残っている。我々の生活のリアリティを代表しているのは彼らだけだ。これがナショナリズムだとするならば、守らねばならないナショナリズムだ。


nasubiseijin hat repostet

フォーリンアフェアーズの記事。第二次トランプ政権て、アメリカは専制政治にはならないが競争的権威主義になると。トランプ達もハンガリーのオルバン政権から学んでいるそう。 The Path to American Authoritarianism: What Comes After Democratic Breakdown buff.ly/40SdPFm


岸田日出刀がシュペーア批判をしたせいで完全に干されて、相川音頭に入れ込んだ、とある。世の大勢に噛みつくとエリートといえど梯子を外される。今も同じで、資本主義をまったく批判できない。 相川音頭をやるほかない。


なにに対して強い気持をもつべきなのかがようやくわかった気がする。遅すぎたといいたい。あるいは、なんとでもなる、とも。 なんとでもなるさ。


トランプは日本型ファシズムをやろうとしている。フィクサーがいる。連中に空虚が中心となるという発想はないからだ。愚劣なことしか言わない虚の中心となることで、群小の相対的に小さい蛮行、犯罪を隠蔽し、正当化する役割。英語圏の西田リバイバルはそれではないか?


かつてすが秀実は批評家志願者はクズばかりで書く資格のない者達であり読むに値しない、と評した。文学は上層中産階級の行う特権的営為だが、その水準に達してないといったのだ。で、そこから十五年経ってどうなったかというと、歴史知識0でも新人賞がとれてスターになれるようになった。


巨漢のモヒカンというのは間違いで、学歴絶対の権威主義社会で官僚・弁護士に媚びる卑怯な者ほど利益快楽と尊敬を得られる小悪党のユートピアになる。弱肉強食ではなく安全地帯を確保して市民を搾取する汚職者の天国が目標。世紀末ではなくその一歩手前の腐敗政治。

ネトウヨの望む弱肉強食の世紀末世界ってのは、巨漢のモヒカンの逆鱗に触れようものならデコピンで首ふっ飛ばされるような世界なわけだろ?その中でモヒカンにへつらいながらうまくやっていく、みたいなのをやりたいわけじゃん?オレにはそんな世界を望む連中の心理がサッパリ理解できない。



柄谷行人では社会の打開はできない。大体、選挙に行ったことが一度もないような文芸批評家がメジャーな社会について考えているわけがない。


三十年、いや、四十年以上なにもできなかったが、これも戦いなのだ。


割高な東急ハ○ズですら、圧倒的にお手頃価格な表札用の木。表札屋よ、いい死に方せんぞ? ゴミの街、渋谷。やはり嫌いだ。


懸命に生産的でなければならない。


ポトラッチの描写は望郷太郎が最も分かりやすい。贈与交換とは選択的自由の不許であり、強制的な人間関係なのだ。セックスのアナロジー。自由がなければ交換は活発にならないが、過剰さと充足感がある。 選択的自由で構築される自由主義を根本的に否定する原理である。


柄谷が過去のことや東大のことを話し出したのは彼の中で中上の存在感が薄くなったからだろう。昔は中上のことしかしゃべらなかった。同時に、彼は中上がどうすごいのかは全く再現できなかった。表現力がある男ではないのだ。ただ批評だけができる。


先日の池袋の花咲氏とすが氏の座談会、井土氏の映画、ユーロスペースが線路の反対側にあった頃にレフトアローンを見たことが思い出される。まだ小ブッシュをゴミといえた。あれから世界をなに一つ変えられず、無力なまま年齢だけを重ねてしまった。


棄民政策に対しては戦うほかないのだが、そのためには階級意識と闘争方法が必要である。民族的同一性と締め出された被害者意識だけだと、第二次大戦の犠牲者の二の舞になる。ソレを避けるためには聡明なリーダーが必要だ。


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